今日も仕事を日暮れの遥か前に終えて、自宅のアパートにそそくさともどり
水木しげるの<昭和史>を読んでました。
水木しげるが色んな学校に不合格になっている頃
水木しげるの父親も色んな会社を首になっていて
そんなころ、父親は父親(水木しげるの祖父)を頼って
戦争の風雲が近づくころ、ジャワ(現インドネシア)に渡り
駐在の邦人に生命保険を売りまくって一財産作ったそうだ。
戦争に突入すると命の危険があり、危険があるから残された家族のために
生命保険に入ろうって人が殺到したのだろう。
戦争で邦人が大量に死ぬような事態になった時でも
生命保険会社そのものが倒産しないとみんなが考えていたんだなぁと思った。
実際、第二次世界大戦の戦死者にも加入していた人は大勢いたはずだ
そんな時には生命保険って払われたのだろうか?気になる。
何百万人も戦死したり餓死しちゃったりしたわけだから
生命保険会社なんてまともに支払っていたら、速攻で倒産しちゃう気がするなぁ。
さらに、生命保険会社はどのような計算をたてて生命そのものを売っていたのだろうか?
例えば、交通事故で死ぬ、癌で死ぬとかはある程度、毎年の予想が立つのだろうけど
戦争が起こる可能性、そして、戦争による戦死者の数なんて推測できるものなのだろうか?
水木しげるの父親のお客さんは駐在員で兵隊じゃなかったのだろうが
その後、赤紙がきて兵隊に行った人たちだっていただろう。
沿道で日の丸の旗を大勢の人たちに振られながら
千人針の襷をかけて、颯爽と、整然と、行進する兵隊さんも
当然だけど命が惜しかったんだよなぁって思う。
<勝ってくるぞと勇ましく>とか<ぜいたくは敵だ>とか
そんなスローガンの裏には
逃げたい気持ちや、明日の飯を今日食べちゃいたい気持ちの裏返しなんだろうなぁと思うと
僕は戦争のない時代に生まれて本当によかった。
特別厳しいわけではないアルバイトもすぐ辞めちゃう僕がもし、軍隊なんかに入れられたらと想像すると恐ろしい。
戦争なくてよかった。
戦争がないのに比べれば
僕個人の(自業自得の)生活苦なんて
なんくるないさぁー
って感じです!
まぁ、いいや生きてるだけ。幸せだ。屋根のあるところに寝れて。
体重を気にするほど太れて。